昭和52年02月13日 朝の御理解
御理解 第76節
「人間は人を助けることができるのはありがたいことではないか。牛馬はわが子が水に落ちていても助けることができぬ。人間が見ると助けてやる。人間は病気災難の時、神に助けてもらうのであるから、人の難儀を助けるのがありがたいと心得て信心せよ。」
人の難儀を助けるのが有り難いと心得て信心せよ。どう言う事になったんでしょうか。お互いの信心をね。自分がおかげを頂く事のための信心ではないですね。人の難儀を助けるのが有難い。そこに例えば、生き甲斐が感じられるほどしの信心をせよと仰せられるのである。ですから私がおかげを頂くために、もう言うならあらゆる修行をしました。お参りも熱心に致しましたというのでは、教祖様が教えて下さる信心とは、大変違うわけです。はじめは誰でもそうです。
自分がおかげを頂きたいと言う所から、信心が始まりますけれどもねそこで、私はその思うんですけれども、言うなら神様に喜んで頂く信心と、よく皆さんが言いますけれども、神様に喜んで頂く信心とはね。人が助かる人が難儀な時に思いをしておる時に、それを助けることが出来ると言う事がです。いや助けることが出来るじゃない。助けることがね有難いと心得て信心せよなんです。そん時そん時助けると言うのですね。そういう御用に使うて頂くと言う事が、有難いと心得て信心をせよである。
私は何時も申しますことがね。先ずは自分が助からなければという、先ず自分が助かると言う事は。自分がおかげを頂くと言う事とは違うんですよ。自分が助かると言う事は、どういう中にあっても有難いなとか、どういう中にあっても、神様有難うございます。相すみませんと、例えば言うような心の状態になれると言う事が、私共が助かると言う事。お天気の良い日は有難いけれども、雨の日は有難くない。これでは本当に助かっている人とは言えません。
お天気の日が有難いなら、また雨の日も有難い。それが本当の助かり。自分の思うようになる。それは嬉しいけれども、自分の思うようにならなかったら嬉しくない。有難くない。それではたすかっとる人とは言えないのです。なぜかというと世の中は、そんなに甘く出来てないからです。それこそ、思うようにならんのが浮世とさえ言われるのですから。だから思うようにならんからと言うて、自分が悔やんで折る様な事では。そこにご神意を悟り、ご神意を分からせて貰う所に、思うようにならない。
不如意であると言う事もまた有難いと言う事になるのです。昨日は合楽だよりの編集の方達が、私の部屋に集まりまして、そして今度奇跡のシリーズと言う所があります。あのシリーズに、田主丸のむつやさんを取り上げました。それでまあ奇跡的なおかげも、次々頂いておりますが、なんと言うてもあのまあ、従姉妹ですけれども結局は姉さんに、一緒に育っとりますからね。あのまあ熊谷さん所の、一人息子さんの奥さんになって、今大阪のほうへ、今六甲ですかというあちらのほうへ行っております。
お勤めの関係です。もう本当に良い三人の母親になります。もう大変お母さんも皆さん、御承知の様に熱烈な信心を致しておられますから、子供たちもやっぱりまたほんなら、自分の母親もここで夫人総代をなさっておられました。小学校の四年生か、五年生のときにおかげを受けた、まあ奇跡的なおかげを受けた話がございます。それでその事を先日から、お礼に出てきました時に、手紙書いて出すようにする。
あんたが子供の時に助かったというあの確かにあんたが、その時分の少年少女会で、その皆んなが作文を作っておりました。その中に自分がその奇跡的なおかげを頂いた時の喜びを、もう周囲の者の驚きやらを、あのこまごまと書いた作文がありましたから、あれを無くなっとるから、あんたがもう一遍書いてくれというておりましたが、送って参りませんから、末永先生に言うてから、確か昔のマルショウだけが使っておった箱があったはずじゃから、探してみてご覧と言うて探した所が出て参りました。
こんな大水につかっておりますから、もう浸かったとこだけはインクがもう剥げてしもうとるんで、それを誰かがまだその通り消えんように代筆して、そしたら幸いその恵美子さんが書いたのだけは、濡れてなかったから自分の字がそのまま、作文残っておりました。もうそれを読ませて頂くともう、本当にそのそらまあよう、五年生ぐらいで、あんな作文書けたと思うくらいに、その書いております。
私の足は人の足よりも二寸短かった。だから学校へ行く時には、その靴の中に何か入れてからこうして行かんと、あの歩き難いけどね。もう恥ずかしいからそういう手立てをしよった。それで受け持ちの先生から、もう再三病院に治療に行けといわれるけれども、お母さんとお婆さんが、私はあの松岡さんのところのあの、空気銃の玉が目に入ったというのが、先だったと思ったら、その作文を見よったらね。反対なんです。
そしてそのお婆ちゃんと、お母さんが言われる事は目の中に入った空気銃の玉ですら、神様が出してくださったじゃないのて。あんたがおかげ頂かんわけ、一生懸命参らんのと言うて毎日、母から日参させられておったと言う事からね。ある日突然その受け持ちの先生が見えた。それももうもう大変いうならば、まあ剣幕で見えられた。もう本当に信心信心と言うてそげな、信心とばかりそら信心も良かろうと、けれどもこういう今医学の進んだときに。ほっておくと言う事は何事かと。
今日はなんと言うても、私が親戚に、久留米の親戚にその良い医者が、外科医がおるから、そこへ連れて行くからと言うて見えた。もう先生があんまり剣幕だから、裏におったけども怖かった。恵美子ちゃんちょっとこっち来てごらん。して言われたから行ってから、先生の前に立った時には、その二寸短いとが一様になっとった。もうそん時には叔母と、お婆ちゃんがおりましたが、もうびっくりしてから、もう金光様有難うございますと言うてその三人で、金光様の前に出てからお礼を申し上げた。
先生はしっかり信心をしなさいと言うて帰られましたと言う事が書いてあるんです。もう本当にあのその辺のところが、なんとも言えませんもんね。先生が病院に連れて行こうと言うて、そして前にこう立てられたときには、もうすでにその辺のところの、描写がね、とっても素晴らしいんです。今度のおかげの泉に、だから原文のままあの載せなさいと私が言っております。
そうしておる時に、また大きな手紙が来ましたもん。恵美子さんからです。そしてあのその当時の事やら現在の信心やらを、もうあの見事な文章で手紙が参りました。それでまぁあれからまあ例えば二十五年たっとれば、なら二十五年後の恵美子さんの信心と言うて、この二つを載せたらよかろうねと言うて話しました。後はむつやが今日まで様々な所を通らせて頂いた事を、詳しくは書けないから、紙面がありませんからと言うて。
昨日は、信司さんの話を聞くために、編集の人と信司さんを中心にして、私と夕食を頂きながら、あの話をしてその話をテープにに入れて書こうと言う事になった訳です。話を進めていく話を聞いていくうちにしかしまあ、よう本当おかげ頂いたなと、あれほどの熱心な信心、合楽のご造営の発端を作った人は、信司さんのお母さんです。あの時分の言うなら二十何年前の、月々三万円というのは、やっぱ大金でした。それをあの金沢さんと言うて。あら何とか何とか銀行でしたかね。
久留米から金沢さん九州相互か。あちらに直接、ずうっとあの御造営費として、預金をされておられました。それから十三日会が生まれてそれが、また合流して段々貯まった金が、ここの一番初めの資金になったわけです。願いが高芝さんとその石井さんというのは、どうでも私は昔からですね、教会をどうでも椛目の教会を合楽に持ってこんならんて言われるわけです田主丸の方達は。私は合楽という名前が、ふるふる好かじゃったです、そん時は。今は一番好きなんだけれどね。
そすと北野の人達は、北野の方にどっか、大城の方に敷地を探すという。田主丸地区の人達は、いいやどうでんこうでん、合楽辺が良かち言うてその、まあ言いよった時代からのことですからね。そらやっぱ、祈りが通じた通うた。合楽にほんならこうしてお広前が、神静まる事になられた。しかも今から考えてみると、これはもう何時ももう、もうそれこそもうそれこそ、百年も千年も前からの神定めの地であったと言う事が、色々な事から段々はっきり分かってきて、神ながらの地である事が分かってきた。
と言う様なまあいうならば、合楽教会の功労者である。しかも亡くなられる寸前まで、もう本当に一生懸命のお参りをなさいました。そして亡くなられた。そして今言う恵美子さんのお母さんでありますところの、二人ともご主人を早く亡くされておられますから、姉妹二人でなさっておられた。そしてその二人のお母さんが、次々と亡くなる。もう本当に世間ではあれほど、椛目その当時の椛目、椛目と言うて打ち込んで。
どうした事であろうかと言うなら、金光様も当てにゃならんと言う様な、悪口高芝さんは、私の事を大変心配されて、実はむつやの事を皆んなが、こげん言いよりますよと言うて、お届けをされるくらいにあった時代があったと言う事です。そん時母が亡くなったときが、十七じゃったそうです。高校卒業して、直ぐじゃったそうです。信司さんがずうっと自動車に乗せて、お母さんをお参りに連れてきておりました。
それこそ西も東も分からないものがいうならばむつ屋の、しかもその様々なもう本当に様々な人間関係、経済の問題まあようも、本当に本日までおかげを頂いてきたなと。そしてその難儀なもうとにかく、なら番頭さんなら番頭さんのほうが上じゃもん。社長捕まえて、信司さん信司さんて、こまい時から言うとる、昔からの番頭さんがおりますけんで。そういう中に、ならむつや呉服店が、段々おかげを頂いてきた、その過程をね。昨日ずっと、私が話し自分の苦労談を昨日、まあ話しております。
それでもしならむつやが、あの例えば信心しよったけれども、親たちが死んだ。そして難儀な問題が次々続くというならば、もう神様も仏様もあったもんかと言う所だけれども、不思議に信心が続いた。それも次々とどうにも出来ない問題が起きてくるもんですから、その問題をいわば持って来る所は、ここしかなかった。もう子供の腹の心の隋から、母達の信心を見てきてるわけです。
そして難儀な問題を持ってくると、昨日も本人が言っているのは私の場合だけは、合楽では御理解というのが、もう合楽の一番最高の魅力であり、芯であるとさえ言われるのに、私がお届けに来たら、もう親先生が決って言われたことは、信司さんあんたが大きゅうなる以外になかばい、あんたが汚なかけん問題が起こるとばい。あんたが美しゅうなってごらん、問題はその場で解決するよち。さあ大きゅうなることだよ。
大きゅうなることだよだった。だからもうそのたんべんに、顔色が信司さん変わるぐらいに、それこそ身震いするような感じで、何時も帰りよったです。ほんなこつそげんでした。信司さんあんたが大きゅうなる以外にないよち。本当に昨日も話の中に、本当に見捨てる神があれば、助くる神があると言わっしゃるが、本当そげんじゃんねち、もう色んな場面で、見捨てられたような感じの中に、久留米の佐田さん達が大変腰を入れられて、そして嫁さんの世話をして下さったり、もう本当に次々と子供が生まれます。
その子供の面倒まで佐田さん達がなさるという。もう芯から親切と信心との、まあ支えになって下さったのが、久留米の佐田さんたちじゃったねと言うて、その話も昨日でました。そしてもう親身以上の、いうならばあの奉仕をされました。そして段々訳は分からんなりにおかげを頂いて、今日先日からもこの頃、元の店はベビー用品のほうを奥さんがやり、自分がこの新しい店のほうの呉服を、それこそ見事なお店が出来ましたね。土地も買わせてもらい。
そして立派なお店も出来て、今度は二階建てでしたから、三階建てにしたいという、この頃からお願いがありましたけれども、これはまあ暫く待ちなさいと言うて、まあ今待たせておるところで。まあいうならば日勝り、月勝り、年勝りのおかげを頂いて、もう信司さんの場合は、言うなら代勝りのおかげになっておるのです。いかに親たちの信心というものが、代勝りの徳を残しておったかと言う事が分かるでしょうが。そして今がここでは青年会長をさせてもろうて三十四歳でしょうか。
何十年間のもうそれこそ難儀な中を、やはり神様一筋に頂いて貫いて、そして今繁盛していると言う事はもう日勝り、月勝りじゃないです。是だけは絶対もうあんた方の場合は、これは代勝りのおかげだよと私が言うとるです。親の信心を受け継いで大変な所も通ったけれども、そういう話をしてテープにこう入れておる所に、久留米の緒方病院の奥さん達が、親子でお礼に出てきました。今度学校の昨日私三百五十人と思うたら、昨日本人から八百五十人の中に百十人しか通らなかったんだそうです。
第一次に通った。だから昨日の朝と、一昨日の朝あの初めて、朝の御祈念に参ってきとった。だから私は丁度私がここに座ったときに、参って来ましたから、はあ今日はゆっくり御祈念とんしてから、御理解でも頂いて帰る。もういつ参ったっちゃ御理解頂かんのです。そしてもう私はもう社会奉仕しとるとか、あの人のまあ難儀を助けてやるのが趣味のごたるふうに言うてもう言うなら、家で信心な出来よるような話を、昨日もされましたから、「そげな事は、なぁにんならん。」と私が言いました。
場合によっては、それが偽善行為にしかならんようになる。却っておかげ落とすち、そげなこっじゃ。私は二度目に参るけれども、いよい今日があの試験日だという時に、よっぽどあの今日は御理解頂いて帰りなさいよと。前はすすうっと帰っとったから。そしたら、神様がね、あのお前が修行せよと言う事を頂いたんです。昨日も言ってましたがね、もうとても絶対通らなければならない人達が、沢山おてとるそうです。自分方は先生がもう大変危ぶんでおられたんだそうです。
それがその八百五十人の中の百人に残ったという。もうまさしく神様のおかげでなからねばと、まあ先生も思われた、言われたそうですが、お母さんもまた本人もま、本当におかげと思うておりましょうけれどもです。そこにはそこのちゃんとその、神様の特別なおかげ、だから今日私が皆さんに聞いて頂きたいのはね、そういうただおかげを頂くために、例えばそれが朝参り夜参り、例えばしたところで、大した事はないと言う事です。ほんならそういう信心がです。
初めて例えば信心を初めて初めの間は、今のむつやじゃないけれども、それこそ人が奇跡奇跡と言うような。一番初めにお願いに見えたのは。もう配給の配給ち言うがあれは、なんち言いましたかね、その切符で買わんならん反物は、いわゆるあのいわゆるヤミが大変はやった、あの時分の事ですから出来難うなったし、もう売れ残りともうその時分に古手をしよりなさった。古着を。それだけしかないからそれでも売り出しち、さなぼり売り出して言うて、田主丸で一番大きな売出しがあります。
それにもどうしようか、もう店を止めようか、止めまいかと言うお伺いに見えたのが初めてでした。そしてそん時に決して、魚屋に生魚ばかりじゃない。生魚が無い時は干物も、干し魚もありゃ塩魚もあるように、その干物塩魚をいっぱい店に出しておった。もうこげなもんな売れんち言うものを、みんな出してしもうた。もうそれこそそん時のさなぼり売出しはもう、それこそ売り尽くしの売り出しのごと売れてしまいました。もうそれも大変な奇跡でした。
それからあのむつやが、本当の呉服屋になったと言うても良い位でした。それが大体始まりです。次々とおかげを頂いて、まぁあんな当時あちらでは押しも押されもせぬ立派な呉服屋になられました。けれども言うなら次々その難儀な事があって。もう本当にこれが徳積みの信心だろうと言う様な、徳を積んで行かれた。そん為に先ず自分自身が助かる事の為の修行をされた。もう先生昔のお参りをしない、当時の大売出しとも言うと、もうそれこそのぼせちしもうちから、口のなかは荒れてこうなりよった。
店の前を他所の包み紙を包んだつば、こうやって持ってどん行きよるなら、あんたもうそれが歯がゆうして、歯がゆうしてこたえじゃった。商売敵が憎かった。それが自分が助かると言う事にはもう、本当に売り出しと言うても、こげな楽なんことはありませんち、ほんなこて他所の買い物包み持って、こういっぱい前を右往左往されよっても、田主丸の商工会が発展しよると言うて、お礼が申し上げられますと言うてござった。もうとても口の中が荒れる段じゃない。
はあ又見えた又売れたといや、もう金光様有り難うございます、有り難うございますで、おかげを頂けるようになった。これが助かるのです。売れると言う事が助かると言う事には繋がらない。それはただどこまでもおかげですから、風のようなもんだと。そしてそういう中であっても、自分が助かると言うところからです。言うなら人も助かるような、神様も喜んで頂ける様な御用も出来られた。それでいてほんなら、自分は亡くなられた。早死にをなさったと。
まあだ息子が十四と言う様な時に亡くなられた。ですから神様のおかげと言うものはね、二年、三年、五年、十年では分からない。どこにどういう深いご神慮が、いわゆる信心はいわゆる信心辛抱が一番大事。おかげ頂ききらんけん、もう止めたと言った様な事では、だからほんならその中途で、もしほんなら信司さんが、信心を止めておったらほらもう、そうにゃ家の母どんが、椛目に参りよったばってん。金光様も大した事はなかばのち、今、悪口どん言うくらいじゃないでしょうか。
ほんならいやそれよりか、むしろ今のむつやも今は無かったかも知れません。けれども、そこを泣く泣くでも辛抱しいしいに、おかげを頂いたところに、いわゆる日勝り、月勝りではない。もうあんた方の場合は、もう代勝りに入っとるよと。なしやそれはあんたの信心は出来んでも、お母さん達のあれほどしの信心が、今日にまあ現れとると言うほかに無いじゃないかと。
昨日は本当に、色んな奇跡的なおかげを頂いたお届けが、幾らもありました。宮崎から電話が架かって、この頃からお許しを頂いて、あの家を建てられるように、それをあの時期がありますから、時期を待っておかげを頂いておった。ところがそこに家が建ちだしたから、まあそのあすこに家ば建てなさるごたるならばと言うて、そこに目を付けておった人があったんでしょう。とても良い場所にそこの田んぼのちょうど倍ぐらいなところに、変えてくれと言うて見えとるが、どうしたら良いかと。
変えてもや良かと場所も良し土地もあんた、倍になるのじゃから。本当に神様の時期と言うものは、もう素晴らしいことです。待てという時には待たにゃいけん。さあやれという時には、さあやらにゃいかん。そこんところにそういうおかげを頂いておる。だからそういうおかげを頂くと言う事だけでです。合楽でのおかげをおかげというのじゃなくて、そういうおかげの頂けれる元であるところの、信心を頂こうと言う事でなからなければです。言うなら助からんのです。
信心を頂くでなからなければ。そこにはほんなら商売敵の事を祈らせて貰えれる、いうならば。沢山な他所の買い物した人達が、右往左往しよってもです。田主丸商工会の発展を日頃願っておられるから。商工会の発展をお礼が申し上げられるような心まで生まれてくる。そういう私は信心は、先ず自分がおかげを頂くと言う事ではなくて。自分が助かると言う事に、焦点を置かなければならない。自分が助かるためには、いよいよ教えを頂かなければならない。
その教えをやはり行の上に現していかなければならない。そして自分が次々と助かっていっておる心の状態を、もうそこには人に話さなければおられない。人の難儀を見たら、お導きをしなければおられない。そこに信心のいうならば生き甲斐と言った様なものが生まれてくるのではないでしょうか。昨日美登里会で、あの安藤さんと善導寺の原さんと、一緒にこの、お届けに見えましたから、二人に話したわけです。本当にあなた方は、おかげ板だいとりなさるばい。おかげを頂くと言う事は。
それこそ立派なお城のような家に住むとか。毎日お肉が頂けるとか。立派な着物が着れると言う、金が沢山あると言った様な事ではないよ。日々がただいわばまあ普通でいうなら、安気安穏のおかげを頂いて何不自由もない。別に有り余ると言う様な事じゃないけれども。あなた方がさあ共励会といや、もうどこにでもお話に、もう原さんは丁度七十だそうですが。七十のいうならお婆さんが、それこそあの矢部の山奥であろうが、日田の豊後森の奥の山奥であろうが。
この頃から直方辺にまでも、その夜を徹してから、お話だの信心の共励をされるのが、もう有難うして楽しゅうして応えん。言うなら人の難儀が助かっていくと言う事が有難いと心得ての信心が出来よるという事は、こげな有難い事はなかばい。昨日もここでしたね、確か。もう、自分ぐらいな者が、御用に立つならば、お役に立つならば、それが嬉しゅうして、有難うして応えんというところに、生き甲斐をおいてあるところに、原さん安藤さんの信心が、あの有難いな素晴らしいなと言うて話したことでした。
昨日美登里会のところで、その原さんが発表しておられました。先日から心が一つもその、さっぱりせん事がございました。それでもう佐田さんところの共励会だと言うので、やらせて頂いておりましたら、丁度車の中で、桜井先生と会いました。で桜井先生実はこんなことで、心が一つもすっきりさっぱりしませんち言うて、お話したら桜井先生が、原さん最近合楽ではね。心行一途と言う事が言われるでしょうが。心行一途になっておるときにはどういう問題も、その場で解決しますよと。
もうその言葉が終わらんうちに、心がスッキリしたという発表をしておられた。素晴らしいことだなと私は思うたです。どんなにここに、ほんなら心の中にもやもやしとるようなものがあっても、心行はぁもう毎日毎日いただきよるけれども、いざはっとする自分が、そこに隙が出来ておる。桜井先生からもうこのごろ親先生が、口を開かれれば心行心行と仰る。その心行ももう一途にとこう言われるでしょうが。
その心行一途にさせて頂いておることですよと聞いた途端に、この胸の中がさあもうとにかく、助かると言う事はね。日頃助かるところの精進がなされておらなければ、その一言じゃ助からんです。そらそうですばってんのうち言うござる事になるです。この胸はどんこんしようのなか。原さんがいかに常日頃、心行に取り組んでおられるかと言う事が、もう、その一言で助かられるだけのものを頂いておられると言う事です。しかもそこに生き甲斐を感じておられると言う事です。
だからおかげを頂くために、どげな修行をしても、そら大したことはないです。おかげを頂くためには、せにゃなりませんよ。けれどもおかげをほんなら、原さん達がどこへ行ってもお話し。もう一遍行くとまた来てください、来て下さいち言うてあんまり言われるから、そのこら腹を決めて、まあ自分ぐらいな者でお役に立つならば、お役に使うて頂こうと言う事にならせて頂いて、そしいよいよ話をする段になるとです。お話は何十年間頂いてきた体験が、もう沢山あるわけなんですよ。
おかげを頂いてきた、また自分が都度都度に助かってきた。その話をさせて貰えば限りなしにおかげ話が出来る、信心の話が出来る。そこに生き甲斐が感じられる。だから皆さんどうでも一つ。人の難儀を助けるのが、有難いと心得ての信心でなからなければならないと言う事ですね。人の難儀を助けると言う事が、有難いと心得て信心をすると言う事であります。ところがおかげを頂かんならんから、毎日日参しよる。おかげを願わんならんから毎日参りよる。
それもいけないことはないですよ。おかげを頂いて、それが一つの体験になって。けれどもその願いの芯がです、人が助かることが出来るほどしのおかげを頂かせて貰うて、その助かることのために、自分も助からなければならないのだ。そういう助かりを願っての信心。その事を有難いと心得て。有難いと心得て信心せにゃいけません。おかげが有難いと心得てじゃつまらんという事です。自分が助かっていくと言う事が有難い。その自分の助かりが、又人の助かりにも繋がっていくほどしの、助かりを願っての信心。その事を有難いと心得て信心させてもらわなきゃいけんと言う事ですよね。
どうぞ。